焼き物に関すること及び全国の有名陶器について特長などの説明
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焼き物にあまり詳しくない人でも九谷焼の名前は聞いたことがあるでしょう。
石川県の九谷焼は、前にお話しましたように、幻とも言われる古九谷の謎めいた魅力も相まって、全国の陶器の歴史や文化のなかでユニークな地位を確立しています。

九谷焼の特徴と言えば、重厚な色彩の絵付けでしょう。
時代により、あるいは陶工により、その手法は異なりますが、絵付けを特徴的に用いるという点は古九谷の時代から一貫して変わらないものです。
「九谷五彩(くたにごさい)」と呼ばれる赤・黄・緑・紫・紺青の5色を中心に描かれます。

実は九谷で焼かれたものではない、とも言われている古九谷ですが、どこで焼かれていたにしてもその油絵を思わせる色彩感覚が、九谷焼の基礎となったことは間違いなさそうです。
古九谷の絵画的な表現は、大胆な構図と自由な線描きを見せて力強く感じられます。
古九谷の再現を図った「再興九谷」と呼ばれるいくつかの窯では、古九谷様式をイメージしながらも独自の工夫を加え、人物主体の赤絵写し、赤絵の細密描画、金彩などの世界を開拓していきました。
やがてこれらの手法を統合し、洋絵の具による細密な絵柄に金彩をほどこし、華麗な彩色金襴の世界を完成させたのが、明治時代の九谷庄三(しょうざ)です。
これは海外への輸出品としての評価も高く、それ以後の九谷焼の主流となりました。
しかしあまりに華美すぎて生活工芸には向かないという意見もあり、今日では古九谷の重厚な作風も復活しつつあるようです。

全国の陶器の中ではメジャーな九谷焼ですが、時代とともに変化していった作風などを隈なく知るのはなかなか難しいかもしれません。
過去の名作から現代の新作までを幅広く展示、解説してある資料館もありますのでぜひ出かけてみてください。
全国の陶器で知っているものを挙げてみてください、と言われると、必ずどの人も思いつくであろう九谷焼。
その九谷焼を語る上で必ずといってよいほど付いてくるのが古九谷の謎についてです。
現在でも議論の渦中にあるという古九谷の謎とは一体どんな話なのでしょうか・・・

九谷焼の本拠地である石川県、その山中町九谷の地で色絵磁器を焼いていたという内容を記した文献があり、発掘調査もそれを裏付けたのですが、古九谷様式に合致するような出土品は少なかったようです。
逆に佐賀県の有田では古九谷様式に一致する陶器の破片が多く発見されているため、古九谷は実は有田町で焼かれたものではないのか、という説が主流となっているのです。

文献によると、明暦年間に加賀大聖寺藩主が後藤才次郎という人に命じて山中町九谷で磁器などを焼かせた、とのことです。
昭和45年からの発掘調査により、江戸初期の登り窯の存在と、磁器が焼かれて色絵素地が作られていたことも確認できましたが、それが果たして古九谷なのかどうなのかは確認できなかったようです。
そのため、古九谷はすべて有田で焼かれていたとか、絵付けだけを九谷で行なったなど、さまざまな説が生まれたのです。
後藤才次郎が起こした窯は、40年ほどして忽然と廃窯になってしまい、これも幻と呼ばれる所以なのでしょう。

全国の陶器にまつわる謎には興味深い話がいろいろとあります。
九谷焼の謎めいたスタート、さて古九谷の窯はいったいどこに・・・?
「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」という言葉を聞いたことがありますか?
焼き物に興味のある人であれば、どこかで聞いたことがあるかもしれませんね。
これは、伊賀焼と信楽焼の特徴を示したことばです。
全国の陶器にはたくさんのものがありますから、中には区別が難しいほど特徴が似ているものがあってもおかしくはありません。
伊賀焼も、日本六古窯のひとつである信楽焼と特徴がよく似ていて、違いと言えば作品に耳がついているかどうかという点だ、ということを伝えるための言葉が「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」なのです。

伊賀焼は釉薬を施さずに土味を生かした焼き締めの製法で作られ、どっしりとした重量感と硬さがあります。
信楽焼に比べ、幾分茶褐色の土肌をしており、器の表面に長石の粒が荒く噴出しているのが特徴のひとつです。
この手ざわりは、三郷山から出土する古琵琶湖層と呼ばれる地層の土にあり、良質の蛙目粘土が含まれているためです。
これらの陶土を、1400度もの高温で焼き締めることで、ごつごつとした素朴な土肌があらわれるのです。

伊賀焼では、器の焼き肌に透明感のある青ガラスのような色が浮き出てくることがあります。
この神秘的な緑色はビードロ釉というもので、伊賀焼特有の自然釉です。
成型や装飾の面で言うと、伊賀焼は器にヘラで模様をつけたり口を歪めたり胴をへこませるなど、人工的に手を加えた造形美が中心となっています。
上記のように、耳がついているのもその一つと言えるでしょう。

全国の陶器には、使う陶土や焼成法など、伊賀焼と信楽焼のように似ているものがいくつかあります。
それらの違いを見極めるのも、焼き物の知識を深める上でおもしろいかもしれませんね。
愛知県常滑市へ出かけたことはありますか?
常滑と聞くと、人によっては「競艇?」と返事が返ってきたり、中部国際空港セントレアも有名ですね。
しかし常滑の町を歩くと至るところに陶器が見られ、かめや焼酎瓶を積み重ねた塀や土管を道に埋め込んであるなど、焼き物の町であることを誰もが実感することができます。
ここで焼かれる常滑焼は、全国の陶器の中で最古の焼き物と言われており、急須や湯のみ茶碗のほかに、厚手の壺や花器、植木鉢まで多種多様な日用雑貨が焼かれています。
また常滑焼の特徴として、土管や工業用タイルなどの製品が多いことも挙げられます。

常滑焼の肌合いにはすべすべとした手ざわりの急須類と、ざっくりとした土味を残す壺や花器などの2種類があります。
常滑焼の代表作と言われる「朱泥(しゅでい)」の茶褐色の急須は、陶土にベニガラという酸化鉄を混ぜて焼き締めた無釉陶器です。
全国の陶器の中でもこの赤い急須を見れば「常滑焼」と分かるほど特徴的なものですが、これはなめらかな手ざわりが魅力で、長く使い込むうちに艶が出てきます。
いっぽうのざっくりとした手ざわりの壺などは、常滑周辺から出土する鉄分を多く含んだ山土などで焼かれたものです。

常滑焼の器は焼き締めが中心で、大半のものは釉薬を掛けていません。
しかし中にはしぶい緑色をした釉薬が肩口から流れている壺などもあります。
これは燃料となる薪の灰が窯の中で溶け、焼き物に付着して釉薬へと変化したもので、自然釉と呼ばれます。
草木の灰を利用した灰釉も、自然釉と同じ風合いを引き出す効果があります。
愛知県の瀬戸市を誰もが知る焼き物の町として知らしめたのが、通称せとものと呼ばれる瀬戸焼です。
瀬戸焼にはこれと言った目立つ特徴が見つかりにくいのですが、逆に全国の陶器のスタイルを一度に楽しめるという点が特徴といえるのかもしれません。

瀬戸焼が、素朴な民芸調から優雅な染付けまで、全国の陶器を模倣できているのにはいくつかの要因があります。
そのひとつとされるのが、市内の採掘場から良質な陶土や陶石が豊富に出土していることです。
中でも、石英分を多く含んだ赤津蛙目粘土(あかづがいろめねんど)は陶器の主原料となり、可塑性の高い本山木節粘土は陶磁器の主原料となっています。

瀬戸焼の発祥の地とされている猿投山に抱かれた赤津町では、現在は磁器が中心となりつつある瀬戸焼の中で、「赤津焼」という国の伝統工芸品に指定されている陶器を主体に焼いています。
赤津焼には伝統的な釉薬が7種類ほどあり、中でも灰釉や古瀬戸釉(こぜとゆう)、御深井釉(おふけゆう)が特徴的な釉薬として挙げられます。
灰釉は草木の灰を用いたもので、焼き上げると緑色の美しいビードロ状になり、平安時代から受け継がれてきた古典的な釉薬です。
古瀬戸釉は茶陶などに多く見られ、鉄釉の一種で木灰に砕いた鬼板粘土を混ぜたもので、釉薬をかけた黒色の表面に茶褐色の斑模様が出るのが特徴です。
そして御深井釉は、灰釉の一種で青みを帯びた美しい色を生み出しています。
ほかに、志野や織部、黄瀬戸などの釉薬も見られますが、これは隣接する美濃焼の影響を受けたものだと思われます。
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